前回自分を好きでいるために私が日々しているルーティンについて書きましたが、今回は私がそのために心掛けている心の持ち方について書きたいと思います。
ものごとにどう反応するかは自分で決められる
皆さんは例えば誰かからの態度で傷ついたりしたとき、どのように反応しますか?
私は10年くらい前、子どもがまだ小さかった頃、子どものお友達のお母さんから無視されたりしたとき、ひどく傷ついて「なぜ無視されたんだろう?私の何が悪かったんだろう?」と自分をひどく責めました。
そして無視された時私は平静を装うためにわざと笑顔を作っていました。
私は傷ついていない!
と思い込もうとしていたんです。
でもすぐその後に、楽しくもないのに楽しそうなふりをする自分がひどく卑屈に見えて、きっと周りの人もそんな私をバカにしていると思い込んで、恥ずかしくて、悔しくて、怖くて、消えてしまいたいと思っていました。
そしてそんな状態が続いて、癒える前に数日したらまた何かに傷ついて、の繰り返しでした。
私はどんどん疲弊していきました。
家の中にいても落ち着かなくて、レースのカーテン越しから外を見て、誰かが立ち話をしていたら「私の陰口を言ってるんだろうか」と疑心暗鬼になり、いつも緊張して苦しくて苦しくて…。
そんなつらい毎日が続いて、ある時ぼんやりと死ぬことを考えているのに気づいたときに、ハッとしました。
私、なんか変だ。これはまずい。
それで心の病気について、本を読んだりネットで調べたりするうちに、自分の人生はあらゆる選択でできており、何かが起きたとき私がどう反応するかも私が選択することができるということに気づきました。
私は私の味方をすることに決めた
私が決めたこと。
- 楽しくもないのに笑わない
- 嫌なことをされたら敢えて顔に出す
- 私を傷つけた人は道であっても無視する
- 私を傷つけた人が話しかけてきても笑顔を作らない
- 顔見知り程度の人ならスーパーなどで見かけても見えないふりをする
- 空気を読まない
- 誰かの感情に振り回されるのをやめる(これはその人の問題であって私のではないと判断する)
- 「空気読め」と圧力をかけてくる人を警戒する
- 「自分のせいで」と思うのをやめる
- 自分は下だと思わない
- 自分が恥ずかしいと思わない
- 自分が思っていることを率直に発言する
- 間違ってると思ったら、同調しない
こんなこと、多分大多数の人にとっては当たり前のことなのかも知れません。
でも私にとっては、どれもこれも努力して少しずつ手に入れていくテクニックでした。
笑顔でいなければいけないという呪縛を解く
いつも笑顔でいなければいけないという呪縛にあった私にとって、笑顔でいるのをやめるという選択はとても勇気のいるものでした。でも私自身を守るために敢えて作り笑いをやめました。
嫌なことをされたら敢えて顔に出す。これも勇気がいりましたが、やってみたらとても気持ちが良いのです。こんなことしたら嫌われてしまう、でもそれでもいいやって思えるほど、自由を手に入れた気持ちになりました。
私を傷つけた人には私の人生から去ってもらうことに決めました。その人が私の陰口大会をしたらどうしよう?でもどうせとっくにやってます。それは私が何をしても怒らないと、相手が高をくくっているからです。私にも感情があり、憎まれるというのがどういうものなのか分からせてやることは大事なことです。当時はそこまで考えず、決めたことを遂行していただけですが、今ならわかります。あの人が黙ったのは私が怒りを見せたからだと。
どれもこれも、最初は勇気が要って、そういう反応が身に付くまでには時間がかかりましたが、今ではどれも当たり前の反応になっています。
私は私という大事な存在を守ることにしたんです。
誰かに嫌われたって、自分に嫌われるより数倍マシだとやっと気づいたんです。
自分に嫌われたら、どんどん自分が小さくなっていきます。
空気は読めても、敢えて読まない
私は周りの空気感を肌で敏感に感じ取ってしまうタイプでした。
誰かが怒っていたり傷付いていたりしたら、すぐわかるのです。
そしてなぜか、「私のせいかも」と思う癖がついてました。これは本当によくない癖です。
なぜなら、そう思うことによって、周りの人は本当に「この人のせい」と思うようになるからです。
自分で自分をそういう存在に貶めてるので、その空気を周りが察知して、問題をこの人に背負ってもらおうってなってしまうんですよね。負のエネルギーのなせる業です。
だから空気を敢えて読まないことにしたんです。
と言っても空気は読めるので、空気を無視することにしたんです。これもドキドキでしたが、誰かのイライラはその人のイライラであり、それを私が引き受ける必要なんて一つもないんです。こんなことに今更気づくなんて、人生損してきました。
何か面倒ごとが起きたとき、誰か弱い立場の人に責任を押し付けるために「ここは○○さんの出番よねぇ」といった空気を作り出す人がいます。空気を読んで「自分がせねば」と抱え込む人がいると出現する不思議な現象です。
こういう人は要注意です。私は軽蔑することに決めています。軽蔑することに決めたら、その人はもう私には何の責任も押し付けることはできなくなります。実際そうでした。
思っていることを率直に表現する
自分が思っていることをそのまま表現するなんて、子供じみている。
大人なら場の雰囲気を考えて自分を抑えなければいけない。
私はそう思っていました。また、そういう場面が多いのもまた事実です。
でも私は自分を抑えるどころか、殺していました。毎日毎日自分を殺していました。自分に殺された感情はどうなると思いますか?決して消えたりしないんですよ。それはあなたの夢にモンスターという形を取って出てきたり、そういう感情が出てくる場面に何度も遭遇させたりして統合を促してきます。
だから、感情を放出させてあげることにしたんです。
そのエネルギーが雪だるま式に大きくなる前に、小さなうちに、出してあげるのです。
「私は違うと思う」と言うのです。
「私はこう思う。」と言うのです。
これもとても勇気の要ることでしたが、やがて快感になりその内当たり前になります。
あなたが思っていることを率直に表現することは、あなたを守ることになります。もちろんそれで誰かを傷つけるということではないですよ。
あなたの意見を表現しましょうということです。
そうやって閉じ込められた感情を(それはもう一人のあなたなのですが)一つずつ放出することで、自己受容が促され自分を好きになっていきます。
自分の意見を言えるということは、自分で自分を認めているということになりますから。
あなたの人生はどんどん軽やかに、生きやすくなっていきます。
今の私は10年前の私とは、全然違う私になっています。
でもそれが本来の私だったんです。私が押さえつけていただけで。
今私はこうやってブログで自分を表現しています。これも私を好きでいるために見つけた一つの方法と言えますね。